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就職・キャリア

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リハビリテーション学部_作業療法士


社会福祉法人 十字の園
作業療法士

栗田洋平 

聖隷クリストファー大学リハビリテーション学部
リハビリテーション学科 作業療法学専攻卒業
聖隷クリストファー大学大学院 博士前期(修士)課程
リハビリテーション科学研究科在学中

 私は2009年に聖隷クリストファー大学リハビリテーション学部作業療法学専攻に入学しました。4年間の大学での学びを経て、2013年より大学の近隣施設である社会福祉法人十字の園に入職しました。十字の園では通所介護事業所に配属され、地域で生活されているご高齢の方を対象としたリハビリテーションを実施しています。

 私の配属された部署は作業療法士の数が私を含めて1~2名であり、ほとんどの職員が作業療法を知らない他職種の方でした。私は勉強会やご利用者さまの変化を通して職員へ作業療法の説明をし、ご利用者さまが作業をできる環境を整えました。作業療法の対象は個人だけでなく家族や組織など集団を含んでいると言われています。私は職員へ作業療法の説明をする過程が通所介護事業所における作業療法に通じているように感じ、集団への作業療法に関心を持ちました。現在、日本は高齢化が進み介護予防が重要視されていることから、私の関心がある集団への支援の場として『介護予防』に目を向けました。

 そして2019年、私は聖隷クリストファー大学大学院リハビリテーション科学研究科博士前期課程に進学し、大学院生として母校に戻ってきました。現在は、泉良太教授のあたたかいご指導の下、刺激的な日々を過ごしています。大学院では、ロコモティブシンドローム(ロコモ)と作業の関連について研究をしています。ロコモとは『運動器(骨・関節・筋)の障害による要介護状態や要介護になるリスクが高い状態』を指し、日本の介護が必要となる原因の多くを占めています。十字の園では2013年から2016年まで地域で生活されている方を対象にロコモ予防事業である『健康づくり教室』を開催しており、私がロコモに興味を持つきっかけになりました。現状、ロコモについての作業療法の研究や事例報告はほとんどないため、とても新規性の高い研究だと感じています。研究を通して、作業療法の視点を生かしたロコモ予防の基盤を作りたいと思います。

 2019年度は、私を含め3名の作業療法士が大学院博士前期課程に進学しました。3名とも養成校や働く領域が違うことから、臨床経験や持っている知識が異なり、お互いが刺激になり学び合うことができています。2020年度には一緒に卒業できたら良いねと話しています。

 今後は、大学院での学びを臨床で生かすとともに、介護予防領域で活躍できる作業療法士を目指し、常に自己研鑽に励みたいと思います。
出典:2020年4月発行「広報誌クリストファーVol.11」

メンタルクリニック・ダダ
作業療法士

飯田妙子 

聖隷クリストファー大学大学院
博士前期(修士)課程
リハビリテーション科学研究科修了

 私は大学卒業後、精神科病院のデイケアや大学病院に勤務をした後、2016年度に大学院博士前期課程へ進学しました。臨床経験が10年を超え、後輩指導や学会発表、研修会の講師を担う機会が多くなる中で「自分自身が臨床で得た知見を客観的に実証してみたい、研究をしてみたい」という思いが強くなり、一念発起して大学院の門を叩きました。

 研究テーマのきっかけとなったのは、臨床で出会った気分障害の患者さんでした。治療が順調に進まないことに本人・家族が困惑し、治療に携わったスタッフも今後の方針について逡巡する中、判明したのは「成人になるまで発達障害が見過ごされていた」ということでした。発達障害は、近年では世間の認知が進み、早期療育を受ける機会が増加している一方で、発達障害の特徴を持ちながらも問題が表面化せず、青年期・成人期になって生活上の困難が生じて初めて精神科を受診するケースも増えています。このような患者さんの特徴を的確に把握し、適切な介入を行うためには、患者さんの近くで一緒に活動を行っている作業療法士にできることがあるのではないかと考え、研究課題を設定しました。

 私が在籍したリハビリテーション科学研究科は、ほとんどの院生が社会人として働きながら大学院へ進学しています。仕事と研究の両立は簡単ではないですが、領域・研究科を超えたさまざまな先生方や院生との出会いは、見識を広められる貴重な時間となりました。

 現在は、地域の精神科クリニックで思春期・青年期のデイケアを担当する傍ら、県内の精神科作業療法士が集まる研修会の企画・運営に携わっています。精神科医療が入院中心から地域生活中心へと変化し、地域で生活する精神障害者の増加や精神障害者の高齢化、精神科で関わる発達障害者の増加といった疾病構造の変化など、精神科医療のニーズが多様化する中で、リハビリテーション専門職として作業療法士の活躍が期待されています。
 病院から地域に出ることや様々な疾患に関わることは、「経験を積まなければできない」と思い、なかなか一歩が踏み出せない領域かもしれませんが、私たち作業療法士独自の視点、専門性で考えられる支援はたくさんあります。今後は、大学院で得た知見を臨床現場に還元するとともに、対象者により適切な支援を幅広く行っていける作業療法士を増やしていけるよう、臨床での活動や後輩育成に積極的に取り組んでいきたいと考えています。
出典:2018年4月発行「広報誌クリストファーVol.8」

社会医療法人明陽会
第二成田記念病院
作業療法士

田端勇麻 

聖隷クリストファー大学 リハビリテーション学部
作業療法学専攻卒業

 私は聖隷クリストファー大学リハビリテーション学部作業療法学専攻の第2期生です。大学卒業後は愛知県豊橋市にある第二成田記念病院に就職をし、回復期リハビリテーションを日々患者様へ提供しています。

 豊橋市をはじめ、蒲郡市、豊川市、新城市、田原市といった東三河地方と呼ばれるこの地域に私は生まれ育ち、そんな思い入れのある地域へ恩返しがしたいという気持ちが現在の職場に勤めることとなったきっかけでした。入職当初は脳卒中や頚椎疾患、整形疾患、認知症の方との臨床や多くの書類業務に追われる中、回復期の作業療法士としてどのような形で地域貢献ができるのかを日々模索していました。

 2年目に入り、外来患者様を専門に臨床を行っていた際、「自分だけが障害に苦しんでいるのではないか」という患者様の思いに気づきました。そこで上司協力の下、退院された患者様の心の集いの場として脳卒中の患者家族会「セカンドブリッジ」を立ち上げました。また6年目に入り、職場へも馴染み、業務にも慣れた頃、急性期、回復期、生活期という流れの中間に位置する立場として質の高い作業療法を実践する為には他の病院や施設と連携をとることが必要ではないかと考え始めました。

 そこで豊橋市内の身体障害作業療法を実践している病院や施設へ声をかけ、2年前から豊橋身障OT合同勉強会を立ち上げ、現在は賛同をしてくれた計10箇所の急性期、回復期、生活期の病院施設と交流を図っています。患者様や他の作業療法士の思いに気づき、その思いを形にするため自らが行動したことがこれらの実現に至ったのではないかと思っています。たとえ臨床の経験が浅くても思いを思いだけで留めず、その思いを自らが行動で起こしていけば、その思いに賛同してくれる人が必ずいると思っています。

 現在、東三河地方には中年や若年の患者様が増加傾向にあります。この年代は日常生活の自立だけでなく社会復帰も大変重要であり、自立支援や就労支援は作業療法士として目をつむることができないワードと考えています。これらを見える形で実現していくことが私自身の課題の一つとしています。そのためには今後も自らの行動が地域貢献になるその日まで作業療法士として励んでいきます。
出典:2016年9月発行「広報誌クリストファーVol.5」

かなえるリハビリ訪問看護ステーション勤務

伊藤直子 

聖隷クリストファー大学大学院 リハビリテーション科学研究科
博士前期課程在学中

 大阪の小児リハビリテーション病院で33年間作業療法士をしていましたが昨年退職し、訪問看護ステーションへの転職とともに、週一回新幹線で浜松に通う大学院生になりました。もともと自分自身が「脊髄性小児まひ(ポリオ)」で左足が不自由だったのですが、高校時代に「水泳」という「作業」に出会い、自分への自信と未来への希望を手に入れることができました。こどもたちにこの感動を伝えたいと思い作業療法士を選びました。関西初の国立養成校の5期生になります。

 当時は、中枢性疾患に対するファシリテーションテクニック(促通手技)がヨーロッパなどから導入された時代でした。脳性まひの早期治療ができるボバース法を実習地で知り、ぜひ習得したいと考えて地元の小児施設に就職しました。ボバース法はイギリスで生まれた治療法でしたし、海外からの文献をたよりに仕事をするので、苦手な英語を勉強し、20代でイギリスやアメリカに研修に行きました。すばらしい経験でした。
 なんとか地元の子どもたちにも貢献したい、成長する子どもたちに喜んでもらえる作業療法を日本に定着させたいと願っていました。しかし、なぜか小児のリハビリテーションは、欧米のように展開していきません。療育システム、統合教育、福祉機器、自立支援、就労支援、子どもの人生の選択肢が増えて、夢の持てる街づくりを目指してきました。

 子どものリハビリテーションが広がらないのは経済的な問題が大きいと考え、大阪市立大学商学部に社会人入学しました。それでも、2006年ごろから日本の経済やリハビリテーションの診療報酬に制限がかかり始めると、病院では思うような作業療法が展開できなくなってきました。この国は子どもに対する医療や教育に投資しないのかと絶望的な気持ちになりました。最近は発達障害児の増加がとりざたされていますが、一人ひとりは優秀な能力を持っていても、その能力を生かす環境がなければ障害児は増加するばかりです。

 大学院では、「重度障害児の成人への移行」について研究します。重い障害をもっていても、社会資源を活用して自立できる子どもがいます。質的研究でその過程を明らかにし、子どもにとって必要な環境を分析してみたいと考えています。作業療法士が子どもたちの活動と参加を支援するためには、作業療法士自身も環境に働きかける力が必要です。大学院に行くことで今までの臨床活動を整理してより多くの人に協力を得ることができると確信しています。本当に楽しいです。
出典:2015年4月発行「広報誌クリストファーVol.2」

児童発達支援・放課後等デイサービス
すりーぴーす

松尾直樹 

聖隷クリストファー大学リハビリテーション学部
作業療法学専攻 2007年度卒業

利用者が楽しみながら成長し、私自身も楽しみながら支援をしていきたい

 気が付いたら作業療法士として働きはじめて10年目になろうとしています。私は卒業後、回復期病院に入職し、成人・小児の方のリハビリテーションを行っていました。その後、重度の方のリハビリテーションに興味が湧き、重症心身障害児者施設で勤めさせていただきました。
 働く中で、提供するサービスと利用者の実際の生活とのズレに悩むことが多くあり、より利用者の生活に即した作業療法を提供できないかと悩んでいました。そこで、より利用者の近くで支援を行ってみたいと考え、放課後等デイサービスへの転職を決意しました。

 現在は神奈川県にある「すりーぴーす」という放課後等デイサービスで働いています。対象は18歳までの障がいのある児童です。児童発達支援も行っているため、6歳未満の子ども達も来所しています。今は子ども達とブランコに乗ったり、畑で野菜をとったり、年に何回かのイベントでは車椅子で山登りをしたり、イルカと一緒に泳いだり、いろいろな活動を行っています。その中で、子ども達の笑顔をたくさん見ることができ、また活動の中で子ども達の成長を感じることもできます。
 作業療法士(支援者)が一方的に提供する活動ではなく、利用者(子ども達、家族)と一緒に活動を行っていくことで得られるものは多いと実感しています。作業療法士になりたての頃は、機能にばかり目が向き「上肢機能の改善」や「できないことをできるようにすること」などを目標にして利用者の生活や楽しみに目が向いていなかったように思います。

 今になって大学で学んだ、人の「作業」の大切さや、QOL等は大切なことであると実感しています。利用者がいろいろな活動を通して、楽しみながら成長していければ良いと考えています。子ども、家族、支援者が同じ方向を向いて、楽しむことができると、いろいろなことができるのではないかと思います。これからも私自身も楽しみながら支援をしていきたいと考えています。
出典:2017年9月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.18」

中東遠総合医療センター
作業療法士

井上 信悟 

聖隷クリストファー大学リハビリテーション学部
作業療法学科 2015年度卒業

いきがいサポートキャラバンKAKEGAWA

 私は高校生の時に藤原茂さんの本と出会い作業療法士を目指し、地元の愛媛県から聖隷クリストファー大学に進学しました。入学当初は遠州弁や遠州の空っ風など環境の変化に戸惑いましたが、心優しい同級生、尊敬できる先生方に恵まれ充実した毎日でした。特に、シンガポールでの海外研修は印象的で、医療制度の違いや文化の違いについて学び、視野が大きく広がりました。
 卒業後は、海外事業にも取り組んでいた医療法人社団KNI(北原国際病院)に就職しました。入職後、海外事業に関わることはありませんでしたが、東日本大震災で多大な被害を受けた宮城県東松島市野蒜地区でのまちづくり事業に関わる機会をいただきました。このような経験を通して、医療は病院の中だけで完結するものでなく、地域で活動する重要性を体感しました。

 現在は、中東遠総合医療センターに勤務し、急性期医療に携わっています。元々、自動車運転再開支援にも興味があったことから、院内でチームを立ち上げ支援を行っています。また、個人的な活動として、様々な理由で自動車の運転再開が困難となった方々に対するいきがい支援を行うコミュニティ(いきがいサポートキャラバンKAKEGAWA)の活動にも取り組んでいます。
 いきがいは、“家族で美味しいごはんを食べる”、“好きなことに打ち込む”など日々の生活の中で幸せを感じる瞬間です。作業療法士にとって、いきがいは特別な作業だと思っています。なぜなら、いきがいには多様性があり、その人らしさ、アイデンティティが強く表れると感じるからです。そんな「いきがい」を支援し続けられる作業療法士でありたいと思っています。
出典:2022年4月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.27」

島田市立総合医療センター
作業療法士

四條 敦史 

聖隷クリストファー大学大学院 博士前期(修士)課程
リハビリテーション科学研究科
作業療法学分野(教育学コース)修了

 私は2010年に北里大学を卒業後、幼少期を過ごした故郷の地域医療に貢献したいという思いから島田市立総合医療センター(2021年に市立島田市民病院より改名)に入職しました。現在は、脳卒中センター脳卒中ユニット兼任作業療法士として主に急性期の脳血管疾患患者に対する作業療法業務に従事する傍ら、脳卒中診療に関わるリハビリテーションスタッフの医療者教育にも力を注いでいます。

 当院は2019年に日本脳卒中学会より一次脳卒中センターに認定され(現在は一次脳卒中センターコア施設にも認定)、質の高い医療を継続し実践するために様々な取り組みを行ってきました。脳卒中ユニット兼任作業療法士に命じられた当時、私は科目履修生として大学院にて研究活動を開始していました。担当する片麻痺患者様の肩に疼痛が生じてしまうことが多く、何とかしたいという思いから大学院オープンキャンパスに参加し、当時の指導教員のもと文献レビューを行いました。

 インターネットが普及している現在、私が学生であった頃に比べ文献にアクセスすることが容易となり、検索方法を理解できたことで肩の機能改善方法に関する最新の知見を把握することができました。その結果、知識・技術が身につき、臨床にて実践し、クライアントの肩の機能が良くなることで自信がつきました。そしてこの問題解決の手法は他の作業療法業務にも適応でき、仕事が楽しくなるという経験をしました。さらにこの経験を教育研究として応用できないかを考えていた時に、リハビリテーション科学研究科博士前期課程に教育学コースが新設されました。

 私の課題研究論文のタイトルは、「作業療法士の行動変容を促す卒後研修プログラムの検証~PBLを用いた肩機能の改善のための知識・技術習得を通して~」であり、教育設計手法の一つであるインストラクショナルデザインを活用した研究です。実際に研修を行った結果、肩機能の治療方法のみでなく、受講者の作業療法業務全般に対する自信も向上しました。

 博士前期課程修了後はHamamatsu QOL.Labに所属し、泉良太教授をはじめ愉快で頼もしい研究室の先生方に囲まれながら、研究員として引き続き研究を進めています。この大学院での学びが、現在の職場での教育活動にも生かされています。今後は成人学習理論に基づき、自己にて問題解決ができるスタッフの育成に努めていきたいと思います。

 作業療法士は作業を通してクライアントの健康と幸福度を向上させる職業です。私自身、幸福と教育者としての良きロールモデルであり続けるために、臨床・教育・研究に邁進していきたいです。
出典:2023年4月発行「広報誌クリストファーVol.14」

株式会社ワンウィッシュ
訪問看護ステーション みつや倉敷
作業療法士

ジャクソン 五泉 様(旧姓:井上)

聖隷クリストファー大学 リハビリテーション学部
リハビリテーション学科 作業療法学専攻
2009年度卒業

 OT3期生として卒業後、今回コラムを書く機会をいただいたので、これまでの経過をまとめてみました。こんな人もいるんだなという程度に目を通してもらえると嬉しいです。

 卒業後はまず静岡県の介護老人保健施設に就職しました。特に生活場面での関わりに重点をおいた施設だったので、OT以外に介護職の方もプリセプターについてくださったり、栄養士さんと連携しユニット内で昼食を作るリハビリを行ったり、各職種との連携の必要性、伝え方は本当に勉強になりました。

 その後別の分野からのお誘いで就労支援施設に移り、しばらくして祖母が亡くなったことで親と過ごせる時間も大切にしたいと思い、地元に戻り、以前から興味はあったものの踏み出せなかった訪問看護ステーションへ転職します。
 静岡から遠い地元での転職は中々大変で、パートで求人が出ていたところへ図々しく正社員で雇ってほしいと交渉、ちょうど事業拡大の予定があり運良く雇ってもらえました。ここで様々な神経難病の方が在宅療養されていることを知ります。直接ご家族と接することで支援の必要性を強く感じ、生き方や看取り方について多職種で深く考える機会がありました。

 興味のあった三分野を経験したところで、ワーキングホリデーの年齢制限である30歳が近づき、準備を始めます。実際に滞在した友人がおり、昔から一度は海外で"生活"してみたいと思っていたので、せっかく就職した訪問看護ステーションを退職、親と過ごしたいと思っていたはずの地元を離れニュージーランドへ渡航します。半年は語学学校、一年間はワーホリという流れで一年半滞在しました。
 ワークライフバランスとしては素晴らしいところでしたが、日本のOT免許は使用できず、そもそも観光の仕事をしたいと思い、日本へ帰国し就活中にコロナ禍となります。一度内定をもらっていたゲストハウスに就職を断られ、数ヶ月色々とバイトをしてみたものの、すぐにコロナが終息する気配がなかったので、再度OTの仕事をしようと決め、今度は精神疾患の方への訪問もできる訪問看護ステーションに就職し、今に至ります。

 一度、もういいかなと思ったOTの仕事でしたが、今はプライベートの時間も確保でき、心身共にバランスよく仕事ができています。自分に少し余裕が持てると利用者様やご家族とよい距離感が取れるようになり、訪問の特徴でもある独居や高齢者のみの世帯への安否確認や、ちょっとした困り事の相談に乗ったりと、リハビリ以外の関わりもできることにやりがいを感じています。
出典:2023年9月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.30」