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就職・キャリア

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看護学部 助産師


名古屋女子大学
教員

加仲 真理子 

聖隷クリストファー大学 看護学部看護学科卒業
聖隷クリストファー大学看護短期大学部 専攻科助産学特別専攻修了
聖隷クリストファー大学大学院 看護学研究科 博士後期課程
リプロダクティブ・ヘルス看護学領域修了

 私は2004年3月に聖隷クリストファー大学看護学部を卒業後、短期大学部助産学専攻科に進学しました。修了後は、聖隷三方原病院産婦人科およびJA愛知厚生連安城更生病院NICUに勤務し、2021年より名古屋女子大学看護学科で母性看護学領域の教員として勤務しています。

 助産師としてNICU・GCUに勤務する中で、これまで産科で経験してきた正常新生児の母親への母乳育児支援よりも、さらに児の病状に配慮しながら個別性のある特別な母乳育児支援も必要なことに気づきました。そして、早産児や重症新生児を出産した母親の母乳育児支援の重要性や奥深さに気づくとともに、どうしたらより充実した支援が提供できるのだろうと考えるようになりました。

 そこで、一念発起し修士課程への進学を決めました。進学した当時は、結婚と出産を経て双子の子どもたちが保育園に通い始めた1歳の頃でした。3交代勤務で働きながら、プレゼンテーションの準備をしたり、文献検討や研究を進めたりするのは目が回るような忙しさでしたが、ディスカッションで広い視野が持てたり、今までの発想が転換されたりしたときには、とても充実感もありました。
 また、臨床で経験した疑問を社会人になってから学修や探求できることに喜びもありました。それには、在職しながらの進学を許可してくださり、協力してくれた職場の皆様の理解と、何よりも家事と育児に協力してくれる夫や家族の理解と支えがあってのことでした。

 現在も、3交代勤務と小学生になった双子の育児と家事を両立しながら、聖隷クリストファー大学看護学研究科博士後期課程に在籍しています。修士課程を修了後も臨床での勤務を続けていますが、修士課程での学びは論理的に系統立てて考えることや思考や現象を言語化することに結びつき、看護実践の幅が広がったと感じています。そして、臨床経験の中で、より多くを学修したいという思いと修士課程での学びをさらに発展させてよりよい支援に繋げていきたいという思いが、博士後期課程への進学への動機となりました。
 そこで、学部の頃にお世話になり、NICU入院児の母親への母乳育児支援をテーマにされている看護学部藤本栄子教授のもとで学修させていただくことになりました。これから博士後期課程の正念場を迎えますが、初心と大学院へ進学したことへの意義を忘れず精進したいと思います。

 最後に、本学には、在職中や子育てをしながらでも学修できる環境と、熱心に指導してくださる先生方がいらっしゃいます。大学院で学びたいと少しでも考えておられる方がいましたら、私と同じようにぜひ大学院の扉をたたいてみてください。
出典:2017年4月発行「広報誌クリストファーVol.6」
2023年1月更新

すずらん助産院
助産師

濵角 由美子 

聖隷学園浜松衛生短期大学
第一衛生看護学科20期生 1995年度卒業
聖隷学園浜松衛生短期大学
助産学特別専攻科17期生 1996年度卒業

学んだ知識を活用し、多くの産婦さんや子供たちのお役に立ちたい

 私が助産師を目指したのは、看護学生の頃に聖隷浜松病院の産科病棟で看護助手として配属されたのがきっかけでした。そこでいきいきと活躍されている先輩方を拝見し、「助産師になりたい」と思いました。
 その後、憧れを実現し、同病院病棟で諸先輩、および同期の皆に支えていただきながら、約6年間勤務させていただきました。現在は「すずらん助産院」を開業し、約10年余り地域保健に携わっております。

 振り返ってみると、助産学専攻科で過ごした1年間は勉強勉強の毎日…。特に実習が心身共に大変だったのを記憶しています。「産科は基本〝待つ〟医学である」と先生に教えていただいた事は今でも心に強く残っています。そして、出産だけでなく地域でも〝待つ〟事は多くの現場で求められてきます。これは、私自身の精神力の向上にもつながったと強く自負しています。

 助産学専攻科では、短期間で習得しなければならないことがたくさんあります。それでも何とか乗り越えることができたのは同期がいたからこそ。今でも時々会っては、近況報告をしながら互いに切磋琢磨しています。

 今後も大学で学んだ看護や助産の知識を活用しながら、多くの産婦さんや子供たちのために、お役に立てればと思っています。
出典:2017年4月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.17」

うめむら助産院
母乳育児相談室
助産師
(IBCLC、桶谷式手技認定者)

梅村久美子(旧姓 丸山) 様

聖隷クリストファー看護大学
看護学部看護学科 1998年度卒

母、助産師として必要性を感じた母乳育児支援のよろず窓口に

 阪神淡路大震災のあった年、創立4年目の聖隷クリストファー看護大学に入学しました。綺麗な校舎で過ごせる毎日はとても快適で、友人たちとすぐに仲良くなり、楽しく大学生活を過ごしました。互いに励まし合い目標に向かって同じ時間を過ごした友人たちは一生の宝物で、今でも心の支えになっています。

 私は高校生の時に「助産師になる!」と決めました。その目標が1ミリも揺らぐことはなく、助産師学校に進学し助産師になりました。

 30代前半の5年間に3人の子供に恵まれました。その間、母として、また助産師としてこれからどう生きていくか、どう働くか、やるべき事は何か、いつも考えていました。というのは、病院を退院した後に始まる育児期間の方がずっと長くて大変で、絶対にサポートが必要だという事を痛感していたからです。育児の大変さを体験したことで見えてきたのが「病院の外で働く」という選択肢でした。
 産後に助産師の専門性を発揮できるのは「母乳育児支援」です。これを軸に育児支援をしたい思い、30代後半はその準備のため母乳育児支援団体の研修センターに1年間通い知識と技術を学びました。研修終了後は先輩の助産院で働きながら経験を積み、2017年9月に母乳育児支援専門の助産院を開業しました。開業とほぼ同時期にIBCLC*の資格認定を取得しました。

 高齢出産、少子化、産後うつ、核家族、虐待、DV、貧困など母子保健に関わる課題はたくさんあります。私の役割は社会の大きな仕組みを変えることではなく、母乳育児支援を通して1組の母子の悩みを聴き、一緒に解決策を考え、一つ一つの不安を解消し、寄り添い支えること、そして気軽に相談に来られる窓口となることだと考えています。
 開業したばかりの若葉マークの助産院です。同じ地区で働く助産師仲間、他業種の専門家との連携も密にとりながら「三つの目(鳥の目)(虫の目)(魚の目)」と「家族への感謝」を忘れず歩んでいきたいと思います。

*IBCLC:母乳育児を成功させるために必要な、一定水準以上の技術・知識・心構えを持つヘルスケア提供者
出典:2017年9月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.18」

小規模保育事業所ちゅーりっぷ
園長
母乳育児相談室マンマ
助産師

根方友紀 

1991年度
聖隷学園浜松衛生短期大学
専攻科助産学特別専攻修了

これまでの経験を活かし自分の可能性を広げていきたい

 私はこれまでに助産師、看護師、保育士、カウンセラー、ヨガの資格を取得しました。現在は掛川市内の小規模保育事業所ちゅーりっぷ園長として、子ども達やママ達に囲まれた賑やかな毎日を過ごしています。助産師としては、妊婦とママ、おばあちゃん世代へのヨガ教室や骨盤体操、母乳育児支援やカウンセリング業務も行っています。

 10年の病院勤務後、15年前、母乳育児相談室マンマという助産院を開業しました。8年前ビジネスコンテストの優勝をきっかけに、保育所やサロンも起業しました。女性が働き易い職場作りや親支援を中心とした家庭的保育所の運営以外にも今後は起業支援や講演など今までの経験を活かし自分の可能性を広げていきたいです。
出典:2018年9月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.20」

たまのお助産院
助産師

鈴木秋絵 

聖隷クリストファー大学 看護学部看護学科卒業
聖隷クリストファー大学助産学専攻科卒業

幸せなお産は世界を変えると信じ、開業を決意

 私は助産学生時代から「産む力」や「産まれる力」を信じ寄り添えるお産に携わりたいと思っていました。
 新卒で病院に就職したくさんのお母さんや赤ちゃんたちに出逢うなかで、短い入院期間の中でこれからの育児に自信が持てず、不安そうに帰られるお母さんたちの背中をいつも見送ってきました。
 もっと妊娠中から関われていたら、もっと業務に追われず時間があったら、もっと違う笑顔に出逢えていたかもしれない。
 いつでも困ったことがあればすぐに電話してねと伝えたところで、赤ちゃんが泣き止まない、何で泣いているかわからない、便秘や吐き戻し、そんな些細なことで病院に電話するのはハードルが高く連絡をされるお母さんは滅多におられませんでした。
 日々の業務や忙しさに追われながらも、幸せなお産が増えるにはどうしたらいいのか?心の中の小さな光は消えることなく探し続けていたのを覚えています。
 そんなとき、知り合いの方から開業助産師さんを紹介していただき、今の師匠と出逢い助産院での勤務が始まりました。
 勤務をはじめたころ、病院で教わってきたこととは違う視点での物事の見方や、日々の暮らしを丁寧にすることが助産とつながっていること、驚きと発見ばかりの毎日でした。そこにはわたしが思い描いていた「お母さんと赤ちゃんの笑顔のために」すべてが繋がっていることばかりでした。

 2021年6月、大阪で32歳の最年少で「たまのお助産院」を開業しました。若くして開業することは、ないものだらけ、知識も経験もお金も自信もありません。ですが自信がつくまで待っていたら、きっといつまでたっても開業はできないと、たくさんの先輩方や師匠の応援や支えがあり開業することができました。
 開業を決意した理由はただひとつ、助産院が増えることがお母さんと赤ちゃんの笑顔につながり、幸せなお産は世界を変えると信じているからです。
退院したらおわりではなく、妊娠中トツキトオカ、そしてそのあと何年たっても「困ったらいつでも帰ってきてね」と両手をひろげて待っていられることがとても幸せです。
 どんなに産後のフォローをしても所詮は後追いのケア、一番大切なのは妊娠期。トツキトオカを共に伴走し、困ったときすぐに相談でき、自分のカラダと赤ちゃんと向き合い一つ一つの症状と丁寧に向き合う、それが「大丈夫」という根拠のない自信に繋がっていくのだと、お母さんや赤ちゃんたちから教えていただきました。
 どこでどんなお産をしても、むしろ病院でお産される方こそ、共に伴走する助産師を見つけていただきたいと思っています。
 これからもお母さんと赤ちゃんの笑顔が世界中に広がるよう、暮らしに根付き、ともに産み育てる世代として歩んでいきたいと思います。
出典:2022年4月発行「広報誌クリストファーVol.13」