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就職・キャリア

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看護学部 看護師 全国


地方独立行政法人 桑名市総合医療センター
桑名西医療センター
がん看護専門看護師

岩田友子 

聖隷クリストファー看護大学 看護学部看護学科卒業
聖隷クリストファー大学大学院 修士課程
看護学研究科 療養支援看護学分野修了

 大学院への進学を志したきっかけは、自信をもってケアを提供したいと考えたことです。私は“その人らしさ”を大切にしたケアを提供したいと考えていました。
 看護師になって、内科系や外科系の病棟を経験し、様々な疾患をかかえる患者さんやご家族と出会いました。その中で特に印心に残った患者さんの多くは、がん患者さんでした。“その人らしさ”を大切にした生活を送るためには、つらさの緩和が大切です。がんによる痛みがあって日常生活が脅かされている患者さん、がん治療の副作用に苦しんでおられる患者さんなどがん患者さんが抱えているつらさを目の当たりにしてきました。
 しかし、がん患者さんが抱えていらっしゃるつらさをほかの医療従事者に伝えてもうまく伝わらず、患者さんのつらさを十分に緩和することができず、悔しい思いを何度も経験しました。そのことがきっかけで、根拠をもって患者さんのつらさや思いをほかの医療従事者に伝えることができるようになりたいと考えるようになりました。

 大学院での2年間は、充実した毎日でした。講義は週に数回でしたが、その講義のために文献検討やプレゼンテーションの準備など想像より遥かに大変でした。しかし、講義の中で自分が調べたことについて先生方や先輩方、同期とのディスカッションを通して、系統立てて考え伝えることの大切さがわかりました。
 また、院生生活全般を通してたくさんの価値観があることが理解でき、視野が広がりました。さらに、“その人らしさ”とは何かについて、自分自身の考えを文献検討やディスカッションによって洗練させ、最終的に1冊の論文にまとめたことで、自信につながりました。大学院での学びから、以前は患者さんの一部分しか見えていませんでしたが、患者さんをはじめ患者さんを取り巻く家族や医療従事者などそれぞれの思いや考えを理解し、ディスカッションを重ねることで、患者さんの“その人らしさ”を大切にしたケアをみんなで考えられるようになりました。
 また、悩んだとき気軽に相談できる仲間も増え、仲間とのコミュニケーションは癒しや励みになっています。

 現在は三重県にある一般病院の外科病棟で働きながら、院内のがん患者さんやご家族の相談を行ったり、地域のがん患者さんと家族のがんサロンの運営に携わっています。今後は、病院だけでなく地域で生活されておられる患者さんも含めて“その人らしさ”を大切にしたケアが提供できるよう、取り組んでいきたいと考えています。
出典:2016年9月発行「広報誌クリストファーVol.5」

南越前町国民健康保険
今庄診療所

赤星和巳 

聖隷学園浜松衛生短期大学
第一衛生看護学科 1988年度卒業

日頃からの対話(コミュニケーション能力)と正確な情報収集が重要

 昭和最後の年(古い!)に卒業した私は、結婚を機に大学病院勤務から片田舎の24時間在宅支援診療所に異動しました。今は住民の方が「住み慣れた地域で最後まで自分らしく生活が送れるよう支援する」を目標に、多職種と連携して包括的且つ多様な看護サービス(在宅看護、緩和ケア、認知症ケアなど)を提供しています。また、行政・学校教育機関と連携し、地域全体の健康向上に貢献できるよう、予防医学や健康増進活動にも力を入れています。
 対象者に満足してもらえる支援とは、日頃からの対話(コミュニケーション能力)と正確な情報収集が重要だと思います。個人の生活環境・価値観はそれぞれ違いますが、そこから発信される情報をアセスメントし、その人が望んでいる生活支援について一緒に考える。次に対象者自身の‘持てる力’を引き出し、誰かと一緒に協働することで継続可能な支援を行っていく事だと思います。

 また、5年程前から医学部 地域医療実習生(研修医、医・看護学生)を受け入れ、人材育成にも力を入れています。彼らと「患者・家族に満足していただける在宅支援とは何か?」を一緒に考えながら指導をしています。彼らは驚くほど自分たちの目線を低くし、患者・家族の思いに寄り添えるよう一生懸命努力しています。私はその姿を見るたび、看護の原点について考えさせられ、一緒に成長させてもらっています。

 私は地域医療に携わったことで、長谷川保先生から教わった『自分のように、あなたの隣人を愛しなさい』という言葉の意味深さを知ることが出来ました。そして、これが医療人のあるべき姿だと確信しています。これからも聖隷の卒業生として誇りを持ち、地域医療に邁進していきたいと思います。
出典:2018年4月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.19」

医療法人財団康生会
武田病院
患者サポートセンター

栃岡 千香子 

聖隷学園浜松衛生短期大学
第二衛生看護学科
1990年度卒業

「その人らしく」最期まで過ごせるように支援したい

 高校生のとき、退寮する先輩に何気なく貰ったのが聖隷学園のパンフレットでした。専門学校に行くのは嫌だと思いながらも具体的に進学先を考えておらず、これは何かの縁だと思い岡山から浜松に行こうと決心をしました。

 卒業後は京都駅前にある武田病院に就職し、早いもので29年目を迎えました。3年目に病棟から集中治療室に異動。実際の心臓外科手術を見学し、停止していた心臓が自分の力で再び動き始める瞬間は神秘的でした。あの時の感動は今でも覚えており、元々心臓外科に興味があった私は瞬時に魅了されました。習得する知識や技術は山積し、また緊張しながら看護を行う日々でしたが、戻れるならばあの頃に戻りたいと思っています。

 集中治療室、一般病棟、地域包括ケア病棟、外来を経験し、現在は患者サポートセンターで勤務をしています。臨床では急性期、回復期、慢性期、終末期とあらゆる病期の患者さんに関わらせていただきました。大手術後にも関わらず社会復帰ができた方がいる反面、救えなかった命もあります。また望む最期の時間が過ごせなかった患者さんもおられ、十分に支援ができなかった自分の力不足を痛感し、看護師は生涯学習が必要ということを再認識しました。

 武田病院ではスキルアップをするための支援が受けられ、私自身もその機会を何度も得ました。臨床での経験と院外での学びを活かし、最期まで「その人らしく」暮らせるよう、地域社会に貢献できるように微力ながらこれからも尽力してまいります。
出典:2019年9月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.22」

医療法人静心会
常盤台病院

三枝洋子 

聖隷学園浜松衛生短期大学
第二衛生看護学科
1972年度卒業

楽しい思い出と共に、生涯現役を目指す

 皆様こんにちは!
 聖隷学園浜松衛生短期大学3期生の三枝洋子です。(旧姓土屋どやちゃんです)昭和48年3月卒業以来ずっと現役です。本当に有難いことと思っています。

 私が入学した当時は、短大が誕生間もなくで学校運営が未整備な時代でした。そんな中、忙しいながらも楽しい学園生活を過ごしておりました。
 勉強は差し置いて?寮生活(校舎すぐ脇の「密の家」)学園祭の準備、市内大学・専門学校の合同活動・キャンプetc。学園祭は資金集めに市内のお店に飛び込みで広告の相談に行ったり、寮では当時ブームのフォークソング・シンガーソングライター等「うたごえ」で盛り上がり、当番制の食事作り、クリスマス会など。時にはあまりの大騒ぎに管理人さんにお叱りを受けたことも懐かしい思い出です。

 そんな楽しい2年間もあっという間に過ぎ卒業を迎え、卒業後は都内の日本医科大学付属病院へ就職致しました。(クラスメート3人と一緒でしたがその後どうなさっているかしら?この卒業生リレーコラムを読んでくださっていたら嬉しいです。)大学病院在職中には在校生に求人活動で、時には大学のホームカミングデーで訪問したりしましたが、その都度に聖隷全体のすごい成長に驚かされ又、卒業校の発展が自慢でもあります。

 大学病院後、ご縁あって民間の病院へ移り、2011年より現在の横浜にある常盤台病院(精神科単科180床)で働かさせて頂いております。卒業以来急性期中心で勤務してまいりましたが、現在は看護師として今迄の経験が全て役立っており長く続けて本当に良かったと思っております。これも聖隷学園での学びあってのことと感謝しております。
 人生100年時代の中、健康第一に現役を続けられるよう頑張りたいと思います。
出典:2020年4月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.23」

琉球大学病院第三内科
技術補佐員

仲程舞衣 

聖隷クリストファー大学看護短期大学部
看護学科 2005年度卒業

看護師からCRCとして医療現場を支えていきたい

聖隷クリストファー大学看護短期大学部を卒業後、地元の病院に就職し結婚を機に沖縄に移住しました。暫く看護師として勤務し、2人目の子供が保育園に入るタイミングで今のCRCという仕事を始めました。家庭と仕事の両立で葛藤があった中、上司の理解もありここまで働く事ができました。

 CRCとは、クリニカルリサーチコーディネータの略で、治験や臨床研究のサポートをする仕事です。私は、主に医師の臨床研究をサポートするため医局に配属されています。
 臨床研究が円滑に遂行できるようにスケジュール管理や同意取得のサポート、他機関との連携、企業とのやり取り、書類管理、資料作成などをしています。臨床の仕事とは違い、実務よりもデスクワークが多いです。医局に入った当初はこれまでと違う職種でわからない事が沢山ありました。

 最近では、所属する医局が主となる沖縄県内の医療機関で実施する研究の事務局を担当させてもらいました。様々な事を教えてもらい、学びながら無事終了する事ができました。3人の子供も落ち着いてきて、今後について考えた時に臨床に戻るか、CRCとして続けるのか悩むときもあり、病棟に同意を取りに行き、看護師の仕事をみて戻りたいと思う事もしばしばあります。

 現在、新たな事業の事務局担当として準備を進めています。臨床に戻るのは先の話、若しくは叶わない事かもしれませんが、どのような形だったとしても医療現場で医療の発展、患者さまのケアに取り組んでいきたいと思っています。
出典:2021年9月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.26」

Tori セラアロマ研究所合同会社
代表

所澤 いづみ 

聖隷浜松衛生短期大学 第一衛生看護学科
1980年度卒業

聖隷精神は今も息づいている

 19歳の時、死に瀕した髄膜炎に罹り、幸いにも命が与えられ看護師になりたいと思い、教会の牧師先生から聖隷の長谷川保先生を紹介いただき短大に入学しました。長谷川保先生をはじめ、聖隷を築いてきた先生方から直接指導を受けたことは、今でも私の看護師キャリアの土台となっています。先生方は、常に学生を尊重して育てて下さいました。

今でも印象に残っていること

1.毎朝5時から恩賜館で長谷川先生と菅野先生が開催していた早朝祈祷会。眠たい目で数人の学生が参加していましたが、先生方はほぼ毎日、お祈りに来られておりました。
2.「人生に成功する秘訣」三方原礼拝堂にてご講演。学生主導で講演会を開催し、多くの聴衆が来られました。
3.雨降りの時、長谷川先生と八重子夫人が相合傘で共に寄り添い歩く後ろ姿に優しさを感じ、共に歩む優しさが聖隷精神だと感じました。

アロマセラピーとの出合いから今の私 

 看護師1年生として勤務した病院で、脳梗塞後遺症の片麻痺患者の体位変換時に患者の苦痛表情を見て、“何か痛みを加えず行える方法はないのかな?”と思いました。2000年にイギリスのアロマセラピーに出会いアロマセラピストとリフレクソロジストの資格を取得し、患者専門のセラピストとしてアロマトリートメント(アロママッサージ)を始めて21年が経過しました。
 患者のお宅に訪問し施術を行う訪問アロマ、病院・ホスピス・クリニック・認知症対応型デイサービスで看護師として勤務しながらアロマを導入してきました。現在は、後輩育成のため看護師向け研修もしています。施術の効果を感じ、神奈川県立保健福祉大学大学院に入学(2010年)し、慢性疼痛患者30名に対する疼痛緩和効果の有無の研究を行い、痛みのQOLなどに疼痛緩和効果を認めました。患者の多くが終末期のがん患者で、亡くなる直前まで施術をしています。
 私は聖隷の卒業生の皆様に、患者の痛みに優しくそっと寄り添うアロマセラピーをお勧めしたいです。今の私なら、片麻痺患者の緊張を緩め、痛みを与えず体位変換をすることができるでしょう。優しさは、施術する手を通して患者に確実に伝わります。

終末期肝臓癌の腹水に対する腹部トリートメント

著書のご紹介

「日々の看護・介護ケアに取り入れる高齢者へのアロマセラピー」所澤いづみ 著(日本看護協会出版会)
出典:2022年4月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.27」

ゲストハウス
ライフクオリティ・カーザ

盛上 直美 

聖隷浜松衛生短期大学 第二衛生看護学科
1990年度卒業

周囲の店や街が誰にとっても過ごしやすい場所になることを目指して

 私は学生時代から脳神経外科看護に魅了され、卒業後は聖隷浜松病院脳神経外科病棟に勤務しました。そこで多くの大切なことを学び、地元の東京の病院へ移った後もその専門性を追求しながら、時に泣き、時に笑い、過ごした日々は、今の私の原点と言えるでしょう。
 様々な人々との出会いを通して、20~30代の多感な時期には看護以外のことにも挑戦したい気持ちが芽生え、“まずやってみよう!”と思い切って新しい世界へ飛び込んでみました。アメリカへの語学留学、フィリピンでの障害児支援団体での活動(貧しい家庭の障害児のリハビリと教育支援)等の海外での生活や体験は、自分の視野を広げ、「心豊かに生きるとは?」を問いかけられた良い機会でした。
 その後は再度、急性期病院勤務に戻り、責任者としての姿勢や役割を学び、自分の目指すものと、目の前に現れる課題に日々葛藤していた折、将来について姉妹で話す機会も増えていきました。妹はソーシャルワークを専攻し、海外で「障害と開発」の分野で活動してきた後帰国し、これまでの障害者運動との関わりを生かしたいと考えていました。私自身もこれまで看護に取り組みながら、片麻痺や言語障害、高次脳機能障害を持った人々が過ごしやすい社会かどうか、については追求できませんでした。
 そこで姉妹で一緒に社会に目を向けながら出来ることをやってみよう!と思い、バリアフリーペンション『Lifequality Casa』の運営を始めました。ペンションだけでなく、周囲の店や街が誰にとっても過ごしやすい場所になることが私達の目標です。
出典:2022年9月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.28」

日本赤十字社医療センター 看護部 11A病棟
日本造血・免疫細胞療法学会
認定造血細胞移植コーディネーター

小野澤 恵美子 

聖隷クリストファー看護大学看護学部
看護学科
1998年度卒業

同種造血幹細胞移植を受ける患者さん 提供してくださるドナーさんのために

 私は、大学卒業後、都内の総合病院に就職しました。看護師1年目に白血病を発症し、骨髄移植ができなければ厳しい予後でしたが、骨髄バンクドナーの方から移植を受け、いま生かされています。約1年半の入院と自宅療法後、仕事復帰し、総合病院では、外来・病棟で15年勤務しました。総合病院での病気体験・復帰後の血液内科看護の経験から、もっと血液内科の勉強をしたいと考えました。厚生労働省が指定する大学病院の研修を経て、現在の病院へ就職し、日本造血・免疫細胞療法学会の認定造血細胞移植コーディネーター(認定HCTC※1)資格を取得しました。

  HCTCは、白血病などの血液疾患のため、同種造血幹細胞移植※2が必要となった時から、移植を受ける患者・提供されるドナー及びそれぞれの家族の支援を行い、倫理性の担保や、リスクマネジメントにも貢献する専門職です。また、移植医療が円滑に行われるために、院内移植関連部門、院外関連機関との連絡調整を行っています。

 移植準備には数ヶ月を要します。その期間、患者・ドナー双方の身体的・精神的支援を行い、移植までの期間を共に伴走する姿勢で関わることを大事にしています。また、移植認定施設として、他病院で移植を待つ患者さんのために骨髄バンクドナー様にも関わります。ドナー様の意思で提供に進まれる姿にいつも励まされます。ドナー様の安全を守り、ドナー提供に満足して頂けるような配慮を心がけています。今後も、与えられた役割を大切に、自分に行えることは何かを考えながら従事していきたいです。 

 私は、聖隷で看護を学べたことに感謝しています。建学の精神である聖書の御言葉は看護の原点だと思っています。学生の皆様は、お忙しい毎日かと思いますが、この環境で学べていることを大切に、今後の臨床、ご自身の人生に生かして頂きたいと思います。

※1 認定HCTC:移植認定施設には認定HCTC1名の設置が必須
※2 同種造血幹細胞移植:一般的に行われる化学療法や放射線療法だけでは治すことが難しい血液疾患に対して、健康なドナーから提供された造血幹細胞(血縁ドナー・骨髄バンクドナー・さい帯血)を移植する治療方法
出典:2023年4月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.29」