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就職・キャリア

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看護学部 大学院・教員


聖隷クリストファー大学 看護学部
公衆衛生看護学 助手

遠山大成 

聖隷クリストファー大学看護学部看護学科卒業
聖隷クリストファー大学大学院
博士前期(修士)課程看護学研究科在学中

 私は2010年に聖隷クリストファー大学看護学部に入学しました。当時の保健師教育の入り口である「地域看護学概論」の授業で保健師の役割や仕事を学び、臨床での看護師とは異なる、保健師の地域にアプローチをする看護に魅力を感じ、大学1年時より保健師を目指すようになりました。

 大学を卒業後、静岡県中部の牧之原市で保健師として採用していただき、入職1年目は小さいお子さんがいる親を対象とする母子保健係に配属され、乳幼児健診や予防接種業務など保健師としての対人支援や公務員としての事務を経験しました。新生児訪問指導や母親との面談、ケースワークなどセンシティブな業務も多く、一般的には母子保健の分野には男性保健師の配置は少ないため、貴重な経験をさせて頂いたことに大変感謝しています。
 4年目からは大人の健康支援を行う成人保健係に配属され、実習指導を担当し実習生と関わらせていただきました。検査値データを対象者の方にイメージできるように伝えることや、実習生が対象者に行う健康教育へのアドバイスなどの経験を通して、対象が小児から高齢者、男女であれ保健師が情報を伝えて行動変容を促す技術は、保健師の根幹となる能力であると学ばせていただきました。

 現在はご縁があり、聖隷クリストファー大学の助手として保健師課程にいる学生の演習、実習指導や授業のサポ―トに入らせていただいています。私自身が保健師教育をするというイメージはありませんでしたし、『教育』をする立場としては身分不相応だと感じながらも、多くの先生方のサポートを頂きながら仕事をしています。その中でも保健師業務の現場に近い教員として、学生に対して保健指導等の行動変容を促す技術を伝えることや、私自身が感じている保健師の魅力を伝えることで、教育の一助になればと考えています。
 また2021年度より本学大学院への進学も決まり、本学の先生方より研究の手法をご教授いただいています。教員になる前には短い時間ですが、臨床の看護師や他市町の保健師を経験させていただきました。どの組織や職種でもアプローチは異なれど、対象の方へ真摯にかつ悩みながら向き合って行く姿勢を目の当たりにして、私を指導していただいた方々、医療や保健の現場で働いている方に還元をしていきたいと強く感じました。
 現場のニーズとブレがないような研究をしていくため、現場の専門職の方と密に連携、情報交換を行い考え続けていきたいと思います。
出典:2021年4月発行「広報誌クリストファーVol.12」

静岡県立看護専門学校 専任教員

佐藤未来 

聖隷クリストファー大学 看護学部 看護学科卒業
聖隷クリストファー大学 助産学専攻科卒業

 私は12年前、本学の助産学専攻科1期生として修了し、総合病院・クリニック勤務を経て、現在は静岡県立看護専門学校助産学科の1期生を教育する立場になりました。この仕事に就くことになった契機は、県東部地域初の助産学科を開設するため教員を捜しているとお声掛けいただいたことから始まりました。

 私のキャリアプランには『教育』という選択肢は全くなかったことですし、教育を担う自信なんてありませんでした。しかし、自己の助産観や教育観について改めて見つめ直し、知識・技術を深める機会となるのではないかということ、また県東部地域に助産師が増えるための力になりたいとの思いから、この道を選択しました。

 現所属での最初の2年間は開設の準備と並行し、教員として従事するための専任教員養成講習会や先任校での実務研修に参加し、教育の基礎を学びました。そして昨年4月からは、実際に教員として学生の学習環境の整備や産褥・新生児期・健康教育の講義・演習及び実習指導を行っています。

 根拠に基づいた助産ケアの伝え方や学生の思考の引き出し方など、効果的な教授方法の実践は容易ではありません。自身の教授能力の未熟さに、幾度となく挫折しかけました。しかし、どんなに些細なことも相談し、失敗したときや悩んでいるときには一緒に向き合ってくれる上司・同僚に支えられながら何とか乗り越えているところです。教育の道に入りまだ日は浅いのですが、教育というものが少し見えてきた気がします。本学在学当時の教授及び現教授の方々にも常々気にかけていただき、温かいお言葉やアドバイスなどお力をお借りし、大変感謝しております。

 県東部地域は助産師の養成施設が今までなく、助産師の数が少なかったため、助産学科が開設された経緯があります。現代の少子高齢化・子育て環境の変化による様々な課題がある中、妊産婦をはじめ新生児から高齢の女性、そして家族全員が笑顔で過ごせるよう、専門性を発揮し、女性の一生を支える助産師の役割が県東部地域においても求められています。

 そのような役割を認識し、多方面の助産師との関わりを通し、地域で期待されている女性や家族のニーズに応え、住民の身近な存在としてその方たちを支える助産師の育成を目指していきたいと考えています。そして、それとともに、私自身も教育観及び助産観を深めながら、日々自己研鑽に励んでいきたいと思います。
出典:2020年4月発行「広報誌クリストファーVol.11」

福島看護専門学校 副校長

大戸和子 

聖隷学園浜松衛生短期大学
第二衛生看護学科1982年度卒業

「聖隷での学び それが私の看護の原点」

 私の看護の道は、高校3年生の時「夜も昼のように輝く」という一冊の本との出会いから始まりました。参考書を買いに近くの本屋に行くと、この本が目に入り、つい立ち読みをしてしまい、翌日改めて購入しました。本には、当時、結核は人に嫌われ差別の対象となっていたが、聖隷の創設者でもある長谷川保先生と奥様、そして、その仲間の方々が三方原の地で、自分の家族のように一生懸命看護にあたったことが綴られていました。私の心は完全に揺さぶられ、それまで「管理栄養士になり、将来の仕事にしたい」と考えていた私でしたが、何の迷いもなく自分の進む道はこれしかない、と看護の道に導かれていきました。

 当時東北は、新幹線も走っていませんでしたので特急列車に乗って、東京で新幹線に乗り換え、一日がかりで浜松まで父と行ったのを覚えています。そして、念願の入学式では長谷川保先生の言葉をいただき、「夢ではない現実だ。これから私の看護の道は、ここからスタートするのだ」と嬉しさでいっぱいでした。

 学生生活は、大変充実しており、看護の大先輩である先生方に看護の喜びとやりがいをたくさん教えていただきました。また、級友たちと出会い、共に辛いこと、楽しいことを分かち合い、充実した学生生活を送ることができました。この浜松、そして三方原の地で、看護の勉強だけでなく様々な人との出会い、人と人との温かなぬくもりを感じながら学べたことが、私に看護の原点でもある「人を大事にすること」の素晴らしさを教えてくれました。

 現在、私は福島県の看護学校で教育の道に携わっております。聖隷での学びが原点となっている私の看護観。それを源に、自分達が大切に育てていただいたように、学生一人ひとりを大切に育てることを心掛けています。教育は、学生と共に目標に向かって学び育て上げるものだと思います。私自身、教える側として自らをどう育て、自身を成長させていくか常に課題とし、学生の持っている力を引き出せるような教師を目指しております。 

 去る東日本大震災の時に、本校も壁が崩れ落ち、物が飛び交い、学校の中は非常ベルが鳴り響き、何が起こったのかわからない状況でした。学生たちと公園に一時避難しました。外は、春が間近というのに大粒の雪が降っており、避難してきた住民の方々は不安と寒さに押しつぶされそうになっていました。その姿を見た学生達は、自分たちも不安でいっぱいにも関わらず、学校に戻り、毛布やシートを持ってきて、震え凍えている住民の方々に優しく声をかけ配布していました。その姿に本校の学生の底力と、隣人愛の精神が培われていることを感じ誇りに思いました。

 最後になりましたが、東日本大震災の時には、皆様にご心配頂き誠にありがとうございました。やっと落ち着き普段の生活に戻っております。福島は自然と果物の美味しい所です。どうぞ一度足を運んでみてください。同窓会の皆様のご活躍とご健康を祈念いたします。
出典:2016年3月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.15」

佐久大学
教員

柴田 香菜子 

2006年度看護学部卒業
2007年度助産学専攻科終了

看護教員の仕事を通し看護師の卵たちの成長の一助に

 助産師として臨床でおよそ8年経験を積み、結婚・出産を経て自分の新しい可能性を探ってみたくなり、そこで出会ったのが基礎領域の看護教員の仕事です。私の受けたそれは授業のたびに、ものすごく厳しく緊張するものでしたが、教えてもらったことが自分の看護に対する考えの礎になっています。

 まだ看護に触れたことのないまっさらな学生に触れることはとても責任を感じますが、面白いです。どんな看護師になっていくのかな~と。学生ならではの悩みや課題を共有し一緒に悩んだりもこの仕事の醍醐味です。

 しかし授業や実習の準備の雑用・デスクワークの多さにはびっくりでした(笑)。自分の教えていただいていた先生方に今更ながら感謝です。
出典:2018年9月発行「聖隷クリストファー大学同窓会 会報Vol.20」