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黎明期


1. 黎明期
1921(大正10)年~1933(昭和8)年
一粒の麦から
第一次世界大戦(1914~1918年)後の不景気が日本中を席捲し、未曾有の関東大震災(1923年9月)が起こり、一方では大正デモクラシーが花開いた時代に、イエス・キリストの教えを日々の糧とした若者たちが静岡県浜松の地に社会事業の一歩を記しました。これが「聖隷」の始まりです。

長谷川保 海外雄飛の夢を捨て イエス・キリストと歩む道を選ぶ

1921(大正10)年
ブラジルに渡り大コーヒー園主になろうと長谷川保は東京の「日本力行会海外学校」に入学。キリスト教の精神を学ぶうち礼拝中に聖霊に充たされ、「お前は日本にとどまり、日本民族の救いのために働け」との神の啓示を聞く。
1923(大正12)年
5月:遠州栄光教会の前身「日本基督教会浜松伝道所」が開かれる。
11月:長谷川は徴兵のため浜松に戻った折、大野篁二らとともに洗礼を受ける。12月に入隊。

浜松伝道所にて 後列左端 長谷川保、左から3人目 大野篁二 
中列左から3人目 植村正久牧師、4人目 伊藤恭治牧師

イースターの日、社会事業を目的に「聖隷社」を創業

1926(大正15)年
4月:教会の青年たちが社会事業を目的に復活祭の日に「聖隷社」を創業。現在の聖隷グループの源流の船出である。
聖隷社の一番目の事業「聖隷社クリーニング店」を長谷川保、大野篁二、山形春人の3人で開設。
8月:日本楽器大争議、長谷川保らに多大な影響を与える。
浜松の和地山に大野篁二が二番目の事業、1ヘクタールの「聖隷社農場」を開く。

聖隷社クリーニング店

静岡県最初の消費組合「消費組合浜松同胞社」発足

1928(昭和3)年
3月:鳥居恵一は賀川豊彦の農民福音学校に参加し、消費組合運動の話を聞いて感激、雨宮猪藤、長谷川保らと「消費組合浜松同胞社」を創立。以後、1939(昭和14)年1月まで活動を続ける。
4月:長谷川保、東京神学社(現東京神学大学)に学ぶ。16世紀の偉大な宗教改革者ジャン・カルヴァンを学び、生涯の思想と生活のバックボーンとする。

消費組合浜松同胞社
前列左より 鳥居恵一、山形春人、長谷川保
中列左 栗原信一、後列左より鈴木唯男、市川伊六、野末

当時社会的に忌み嫌われていた重症の結核患者を看護する奉仕の仕事を始める

1930(昭和5)年
同胞社の同志の合宿所であった「愛耕園」を改造し、腰椎カリエスを病んでいた教会の仲間鈴木喜代を迎え、世話をする。
重症の結核に罹った桑原昇次郎という青年が父親と一緒に来訪。「この子の五尺のからだを天地の間に入れてやる所がない」という訴えに、収容を決心。
続いて、田中、大橋徳三らの患者を受け入れ、内山徳治が看護に加わる。

左:桑原昇次郎 右上:愛耕園 右下:大橋徳三