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開花期


4. 開花期
1966(昭和41)年~1992(平成4)年
医療・福祉・教育事業の拡充時代
医療・福祉・教育の三大事業の原型ができあがり、聖隷が爆発的に拡大していく時代。病院の拡充に力を注ぐとともに、病気の治療と並行して予防活動にも取り組み、さらに、教育事業に本格的に着手、社会福祉の重要性に目を向けるなど、常に時代を先取りして現在の骨格をなす事業を進めました。聖隷の苦難の歩みが、一つひとつ大輪の花を咲かせ始めた時代です。

医療と福祉の二大事業と併せて
人材育成のための「教育事業」に本格的に取り組む

1966(昭和41)年
4月:聖隷准看護学園(聖隷准看護婦養成所)を発展的解消し、「学校法人聖隷学園」設立。聖隷学園高等学校衛生看護科開校。
5月:重度知的障害児施設「小羊学園」を開園。
聖隷三方原病院の事務長を務めていた山浦俊治が私財を投じ、社会福祉法人十字の園の知的障害者部門として開設。1987年に社会福祉法人小羊学園として認可される。

学校法人聖隷学園設立

小羊学園開設時

1992年当時の小羊学園

1967(昭和42)年
5月:聖隷病院(後の聖隷三方原病院)本館完成
1969(昭和44)年
4月:聖隷学園浜松衛生短期大学開学(衛生看護科定員100名)
1970(昭和45)年
4月:重度知的障がい児入所施設「やまばと学園」開園。
遠州教会の副牧師を務めたのち榛原教会に転任した長澤巌牧師が聖隷保養園傘下で静岡県内三番目となる重度知的障がい児入所施設を開設。1979年に社会福祉法人牧ノ原やまばと学園として分離独立。

開設時のやまばと学園

1997年頃のやまばと学園の施設、左はやまばと成人寮

1973(昭和48)年
5月:高齢者世話ホーム「浜名湖エデンの園」開園
12月:社会福祉法人聖隷保養園を社会福祉法人聖隷福祉事業団と改称。

浜名湖エデンの園開園

1976(昭和51)年
6月:兵庫県和田山に重度身体障害者授産施設「恵生園」開園。
社会に奉仕する教会活動の実践を模索していた西神戸教会のメンバーが、聖隷福祉事業団の姿に共鳴し、その傘下で始めた事業。1984年に分離独立して社会福祉法人神戸聖隷福祉事業団となる。

神戸聖隷福祉事業団 恵生園

2013年頃の神戸地区全景

二人のキリスト者によってブラジル、
インドの地に聖隷の仲間「希望の家」誕生

どちらの施設もほとんど公的援助が得られない国情の中で、知的障がい者らのために困難を乗り越えて現在に至っている。
聖隷グループは、それらの事業に対する精神が豊かで純粋であることに感銘を受け、交流を図るとともに募金その他の面で協力を続けている。
1963(昭和38)年
10月:知的障がい者施設「ブラジル希望の家」開設
知的障がい者のために一生を捧げる決意で単身ブラジルに渡った市川幸子により自費でサンパウロ市に開設された。その後窮状に陥った施設を救うため、1978年、長谷川保は募金協力を約束。自ら集めた募金に聖隷福祉事業団ほか聖隷グループの支援金合わせて1億円を寄付した。

希望の家鍬入れ式で鍬入れをする渡辺理事長、
左から2人目は長谷川保

ブラジル希望の家福祉協会

1989(昭和64)年
インドのバルゲーゼ・アブラハムが1984年に聖隷グループの小羊学園、牧ノ原やまばと学園、神戸聖隷福祉事業団で研修を受け、1987年にインド南部のケララ州に知的障がい者のグループホームを開設する。
7月:正式に聖隷グループの一員として知的障がい者施設「インド聖隷希望の家」となる。
1991年聖隷グループ全体で一口1000円の募金を呼びかけ、2か月で300万円を集めて寄付、1993年に新しい希望の家が完成。また1995年には長谷川八重子の弔慰金から1万ドルを贈呈した。

インド聖隷希望の家開設当時

1995年頃の建物

1992(平成4)年
4月:聖隷クリストファー看護大学開学(看護学部看護学科100名)
2002年社会福祉学部を開設、2004年にリハビリテーション学部開設、この間校名変更を行い、聖隷クリストファー大学・大学院として保健・医療・福祉・教育の専門職者を養成している。

開学時の大学校舎