グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



TOP >  聖隷の歴史 >  激動期

激動期


3. 激動期
1950(昭和25)年~1965(昭和40)年
敗戦から日本の復興に向けて歩む聖隷
太平洋戦争へと戦線は拡大し、結果は敗戦。
浜松も日本中も焦土となる中で、いち早くイエス・キリストの教えをもって日本復興へと歩み始めたのが聖隷の人たちでした。戦火のもとでの結核病棟兼診療所運営、戦中・戦後の被災者援助活動、そして新生日本への平和再建運動等、聖隷は新しい活動期を迎えたのです。

社会福祉法人「聖隷保養園」として医療・社会福祉事業で地域社会に貢献する

1952(昭和27)年
5月:聖隷准看護婦養成所開設。
社会福祉事業法による社会福祉法人の認可を受け「聖隷保養園」と名称変更。
1953(昭和28)年
4月:さらなる福祉事業の推進のため、これまでの無給料・無報酬の共同奉仕生活から『給料制』の導入へ。
5月:日本の戦後復興支援のためドイツから派遣された『ディアコニッセ(プロテスタント教会に属し生涯をキリストに捧げて奉仕をする女性)』5名来園。
1954(昭和29)年
8月:聖隷保養園浜松診療所を元目町に開設。
11月:ドイツ・シーメンス社製胸部断層レントゲン装置を設置。重症結核患者の治療で国内屈指の評価を得る。
生活保護法に基づき、結核回復者のアフターケアとして聖隷更生園を始める。
1959(昭和34)年
11月:元目町の浜松診療所を聖愛園(旧聖隷社農場)の敷地に移し、新たに聖隷浜松診療所として発足。
1960(昭和35)年
12月:遠州栄光教会三方原教会堂献堂。

聖隷准看護婦養成所

ドイツより来日したディアコニッセら
左からハニ、フリーダ、エルゼ、一人置いてイルムトルード、一人置いてドーラ、右端は長谷川保

ドイツ・シーメンス社製胸部断層レントゲン装置

遠州栄光教会三方原教会堂献堂

寝たきりの高齢者をお世話する「高齢者福祉」に
日本で初めて取り組むとともに疾病予防活動を開始

1961(昭和36)年
1月:ディアコニッセのハニ・ウォルフ姉妹の尽力により要介護高齢者のための「十字の園老人ホーム」が開園。前年に社会福祉法人十字の園設立認可。同園がモデルとなって1963年に制定された老人福祉法に「特別養護老人ホーム」が規定される。
6月:胸部レントゲン検診車第1号購入。
7月:予防検診活動開始。

十字の園の職員たち

胸部レントゲン車 第1号

優秀なスタッフの招へいと最新の医療機器により最先端の医療を実施

1962(昭和37)年
3月:聖隷浜松病院本館落成。
6月:人工心肺を用いた最初の手術を東京女子医大の榊原仟教授執刀により行う。
1963(昭和38)年
5月:成人病検診1号車を購入し、成人病検診開始。
8月:聖隷浜松病院院長に東京女子医大の中山耕作博士を招き、脳外科手術を始める。

聖隷浜松病院本館落成

人工心肺を用いた最初の手術