グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ


大学概要

ホーム >  大学概要 >  理念とあゆみ >  聖隷の歴史

聖隷の歴史


90年以上前、不当な差別を受けていた結核患者に手をさしのべたクリスチャンの若者たちは、無償無私の精神で病舎を建てて患者たちの心身の援助を行いました。その後、聖隷グループはキリスト教の「隣人愛」の精神を基盤として、社会の動向を見据えて人々のニーズを先取りしながら発展し続けています。福祉専門分野の草分け的存在の聖隷グループは多くの有能な人材を輩出して、援助を必要としている人のために専門的な能力を発揮。日本の保健医療福祉の分野において大きな貢献をしています。

クリスチャンの若者たちが社会事業を目的として「聖隷社」を創業

1921年

浜松商業学校(当時)を卒業した長谷川保、ブラジルで大コーヒー園主になる夢を抱いて東京の日本力行会海外学校に入学。 キリスト教を学ぶうちに、「お前は日本にとどまり、日本民族の救済のために働け」という神の啓示を聞く。

長谷川 保

1926年

長谷川保ら数名のクリスチャンの若者たちが、社会事業を目的として「聖隷社」を創業。

(写真)創立者 長谷川保が愛用していた聖書。信仰への真摯な情熱が、すき間ない書き込みからうかがえる

1930年

重い結核を患う桑原昇次郎青年を受け入れたことが契機となり、無償で重症の結核患者たちの世話を始める。

1931年

「ベテルホーム(主の家)」(写真)と名付けた療養所で、迫害を受けつつも事業を続ける。

ベテルホーム

1937年

社会運動家 賀川豊彦が主宰するイエスの友会からの献金を資金に三方原へ移転。「聖隷保養農園」(写真)と改称。婦人雑誌「主婦之友」の取材記事によって結核患者の療養施設とわかり、周辺住民の反対運動が起こる一方、全国から重症の結核患者が殺到する。

聖隷保養農園

1938年

社会事業の認可を受けるが、迫害はいっそう激化。経営は最悪の状態になる。

1939年

ついに「聖隷保養農園」の閉鎖を決意した翌日の12月25日、昭和天皇より「特別御下賜金(当時5,000円)」(写真)を受ける。これによって、10年にわたる迫害が収束に向かう。

昭和天皇から「特別御下賜金」を受ける

1942 年

「聖隷保養農園」が財団法人として認可を受ける。聖隷保養農園附属病院開設(聖隷三方原病院の前身)。

教育を戦後復興の重要課題とし、教育事業に着手

1945年

第二次世界大戦終戦。翌年、外地から引き揚げてきた母子のための収容施設 弁天島同胞寮を開設。

1946年

長谷川保、戦後初の総選挙で衆議院議員に当選。生活保護法(旧)等の制定に取り組む。

1949年

各種学校「遠州キリスト学園」設立。今日の教育事業の出発点となる。

1952年

「聖隷准看護婦養成所」(写真)開設。

聖隷准看護婦養成所

1959年

各種学校として静岡県の認可を受け、聖隷准看護婦養成所を「聖隷准看護学園」に名称変更。

看護および介護の人材養成を開始

1961年

日本で初めての特別養護老人ホーム「十字の園」開設。

1962年

「聖隷浜松病院」開設。

1966年

「学校法人聖隷学園」設立。「聖隷学園高等学校衛生看護科」開学。
重度知的障害児施設「小羊学園」開設。

1969年

「聖隷学園浜松衛生短期大学」開学。

1978年

特別養護老人ホームで働く寮母(ヘルパー)の教育訓練のため、「福祉医療ヘルパー学園」開設。
1987年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が制定される呼び水になり、介護福祉士養成校のモデルとなる。

1981年

聖隷三方原病院内に、日本初のホスピス「聖隷ホスピス(緩和ケア病棟)」開設。

1984年

マザー・テレサ来訪。『いのち、神のたまもの』と題して講演を行い、十字の園や聖隷ホスピスなど聖隷グループの諸施設を訪問。

1988年

「聖隷介護福祉専門学校」開設。日本初の厚生労働大臣指定の介護福祉士養成校となる。

1992年

「聖隷クリストファー看護大学(看護学部看護学科)」開学。

開学当時の大学

1998年

「聖隷クリストファー看護大学大学院看護学研究科(修士課程)」開設。

保健医療福祉および教員養成の総合大学へ

2002年

「聖隷クリストファー大学」に名称変更。
社会福祉学部社会福祉学科を開設、介護福祉士養成を大学に移行。

2004年

大学にリハビリテーション学部、大学院に社会福祉学研究科(修士課程)開設。

2006年

大学院にリハビリテーション科学研究科(修士課程)開設。

2007年

聖隷学園浜松衛生短期大学専攻科での助産師養成を経て、大学に助産学専攻科開設。

2008年

社会福祉学部にこども教育福祉学科、大学院に博士後期課程保健科学研究科開設。

2011年

リハビリテーション学部を現在の3学科に改編。大学院を看護学研究科、リハビリテーション科学研究科、社会福祉学研究科の各博士前期課程・博士後期課程に改編。
静岡県西部初の幼保連携型認定こども園「聖隷クリストファー大学附属クリストファーこども園」開設。

2016年

「聖隷クリストファー大学介護福祉専門学校」開設。

2019年

社会福祉学部こども教育福祉学科に小学校教諭教職課程設置。

2020年

社会福祉学部社会福祉学科にソーシャルワークコース・介護福祉コース設置。
※写真は聖隷歴史資料館所蔵

大学はなぜ三方原の地に?

1930年、数名の若いクリスチャンたちが重い結核を患う患者さんを受け入れ、その人に寄り添い運命を共にして生きると決意したことにより、聖隷の歴史が始まりました。
結核は当時、死に至る伝染病として人々から忌み嫌われ、療養所は迫害を受けて移転を重ねました。その後、全国のクリスチャンたちの支援により浜松北部の三方原の土地を与えられました。
以来、聖隷の事業はこの三方原から医療・福祉・教育の分野で大きく発展し、現在に至ります。教育事業については、遠州キリスト学園に始まり、准看護婦養成所、高等学校、短期大学を経て聖隷クリストファー大学・大学院へとつながっているのです。