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教員リレーエッセイ

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人に「仕える」とは――援助職者の根底思想の探求


2022年10月10日更新
私は「仕える」ことについて研究をしています…とお話しすると、多くの人は怪訝な顔をします。というのも、「仕える」というと、古い「滅私奉公」の世界の話を思い出されるからのようです。大金持ちのご主人様の所に召使いとして「仕え」て、「自分」をなくして、ご奉公する…そんな主従関係のなかでの、「仕える」をイメージされる方が多いように思います。
私が研究する「仕える」は上下の主従関係のなかでの「仕える」ではなく、現代の保健・医療・福祉・教育の現場における、同等な人対人の人間関係における、専門援助職としての「仕える」ことなのです。本学の教育理念にもある「隣人愛」と共通する理念なのです。
「仕える」「仕えること」はギリシャ語で「ディアコニア」と言います。日本語訳には他に「奉仕」「世話」「援助」「職務」などがあてられています。ドイツ語では「ディアコニア」を行うプロテスタントの献身女性たちを「ディアコニッセ」と呼びます。カトリックの「修道女」と同じ人たちです。
この「ディアコニッセ」が1953年11月、浜松に5人来て、「母の家(ムッターハウス)」と呼ばれる場所で共同生活をしながら、聖隷の事業に関わりました。ディアコニッセ・ハニ・ウォルフ(1914.5.5~1996.10.27)は5人の中で一番長く、1966年3月まで浜松に居ました。今の聖隷三方原病院の手術室で働き、現在の看護学部の前身にあたる聖隷准看護婦養成所の教務主任代行を務め、特別養護老人ホーム十字の園の開設に大きく関わりました。
私は、ディアコニッセ・ハニの対人援助実践を分析し、次の5つの基本姿勢を抽出しました。「いつでも言ってください」「お手伝いしましょう」「言うことはいいます」「私の仕事です」「あなたといっしょにいます」です。自分の仕事として、隣人として相手と寄り添い、聞き、手伝い、そして不合理なことは相手の代わりに主張する。この「自分」をもった責任ある姿勢が、現代における専門援助職としての「仕える」を具体的に表した行動実践の姿ともいえるでしょう。「研究」を通して、先達たちが積み重ねてきた実践やその背景にある思想を引き継ぎ、今の私たちが依拠する実践のよりどころを明らかにし、後世に受け継いでいきたいと思っています。

ハニ・ウォルフ姉妹と長谷川保
(十字の園15周年来日・1976年)

季節託児所(母の家主催)の子どもたちとハニ姉妹
(1959年5~6月)