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教員リレーエッセイ

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聴覚障害は、心の理論の獲得に影響するのか


2022年11月10日更新
 自閉症スペクトラム障害(ASD)のある人は、他人の気持ちや考えを理解することが苦手な場合が少なくありません。この理由の一つとして、脳機能の障害により、「心の理論」の獲得が進まないことが挙げられます。心の理論とは、他人の心の状態を推測する認知能力です。1980年代にバロン=コーエンらは、ASDのある子どもが心の理論の課題に失敗することを明らかにしました。下図(図1)に基づいて説明すると、障害のない子どもは5歳を過ぎると、ネコの立場に立って考えることができるため、Aの箱と答えます。しかし、ASDのある子どもや、4歳以下の子どもは、自分の立場でしか考えられないため、Bの箱と答えます。彼らは、「自分は正答を知っていて、他人は知らない」ということがどうしても理解できないのです。

(図1)心の理論課題の手続き
①ネコが玩具を2つの箱の内、Aの箱に隠して場面から消える。
②その間に、ウサギが現れBの箱に入れ替えて場面から消える。
③入れ替わったことを知らないネコが戻ってくる。
被験者に、ネコはA、Bどちらの箱を探すか、問う。被験者がネコの考え(誤信念)を理解していたら、Aの箱と答える。(大原・廣田, 2014)

 個人的には、心の理論のみに基づいてASDのある人の対人行動を説明することは、少々無理があると思っています。しかし、バロン=コーエンの実験は1990年代に一般書(八千代出版, 1997)として出版されたこともあり、「ASD =脳機能障害=心の理論の未熟」という構図が世の中に広く認識されるようになりました。

 一方、Peterson & Siegal(1995)を皮切りに、2000年以降、聴覚障害のある子どもが心の理論の獲得に失敗するという研究が多数報告されるようになりました。聴覚障害はあくまでも聞こえの感覚器の障害であり、脳機能そのものには問題がありません。聴覚障害の研究により、脳の働きだけでは心の理論の獲得を十分に説明できなくなったため、ASDのある人とは異なるメカニズムを考える必要性が生じました。なぜ聴覚障害のある子どもは、心の理論の獲得が進まないのでしょうか?心の理論の獲得には、何が必要なのでしょうか?子どもは聴覚を通じて音声言語を学ぶため、生まれつき聴覚障害があると言葉の発達が遅れます。そこで、心の理論を獲得するためには、言語を用いて他者とやり取りをする経験が必要であることが分かってきました。

 聞こえの障害は言語発達だけでなく、心の理論の獲得、ひいては対人関係にも影響を与えます。従来より、聴覚障害のある人は、言語によるやり取りが困難であるため、性格的に大人しく、交友関係を築きにくいと言われてきました。しかし、心の理論の獲得の観点から考えると、単に会話が上手にできないという問題だけでなく、幼児期の社会認知発達の躓きが生涯にわたって影響している可能性を指摘できます。早期より補聴器や人工内耳を装用し、一貫した言語指導を行うことは、聴覚障害のある子どもが他者との豊かな関係を築き、地域社会で健やかに育っていくために大きな意義があると言えます。

 このことは、障害の有無に関わらず、全ての子どもに当てはまります。子どもはコミュニケーションを通じて、他の人の気持ちや考えを理解するようになります。他人の立場に立って物事を考えることができる心の理論の獲得は、幼児期後期の重要な発達課題です。