地域のはじっこで社会福祉を考える

2026年2月10日更新
地域の片隅で、社会福祉について考え続けている。障害・高齢者分野の支援者として歩んだ十数年。子育てが一段落した頃には、義父の在宅介護を四年間担い、私は確かに家族介護の「当事者」でもあった。
現在は大学に勤務し、介護福祉士や社会福祉士の養成教育に携わっている。今の私は、直接的な支援者でもなければ、切実な当事者でもない。それでも、ニュースで報じられる福祉の窮状に目は留まり、災害があればボランティアとして現地へ駆けつける。ふるさと納税では福祉施設の返礼品を選び、地域のイベントでは授産製品を積極的に購入する。かといって、声高に正義を叫ぶ「市民活動家」と名乗るほどの勇ましさはない。
超高齢社会、そして「多死社会」を迎える中、新型コロナウイルスの蔓延は「施設療養」の限界を浮き彫りにした。病院では介護ができず、施設では十分な治療ができない。その狭間で失われていく命を前に、私は専門職の一員として慙愧に堪えない思いを抱いた。また、制度改正のたびに叫ばれる「医療と介護の連携」の実態は、常に医療が優先され、福祉系の在宅サービスが削られていく。その現状に憤りを感じながらも、デモに参加するほどの勇気は持てずにいる。
そのくせ、介護をテーマにした映画『PLAN 75』や『ロストケア』などには初日に足を運ぶ。スクリーンの中で介護者の苦悩ばかりが消費され、肝心の当事者の声が置き去りにされていることに、独り腹を立てたりもする。
政府や行政の欺瞞に毒づきながら、深刻な介護人材不足の中で自分に何ができるのかを自問する。介護労働者が先細りしていく「地域共生社会」の厳しい現実を前に、せめて目の前の人を助けたい。今は、未来の担い手である外国籍の留学生を慈しみ、大切に育てながら、自分にできる活動をこの「はじっこ」で細々と続けていきたい。
現在は大学に勤務し、介護福祉士や社会福祉士の養成教育に携わっている。今の私は、直接的な支援者でもなければ、切実な当事者でもない。それでも、ニュースで報じられる福祉の窮状に目は留まり、災害があればボランティアとして現地へ駆けつける。ふるさと納税では福祉施設の返礼品を選び、地域のイベントでは授産製品を積極的に購入する。かといって、声高に正義を叫ぶ「市民活動家」と名乗るほどの勇ましさはない。
超高齢社会、そして「多死社会」を迎える中、新型コロナウイルスの蔓延は「施設療養」の限界を浮き彫りにした。病院では介護ができず、施設では十分な治療ができない。その狭間で失われていく命を前に、私は専門職の一員として慙愧に堪えない思いを抱いた。また、制度改正のたびに叫ばれる「医療と介護の連携」の実態は、常に医療が優先され、福祉系の在宅サービスが削られていく。その現状に憤りを感じながらも、デモに参加するほどの勇気は持てずにいる。
そのくせ、介護をテーマにした映画『PLAN 75』や『ロストケア』などには初日に足を運ぶ。スクリーンの中で介護者の苦悩ばかりが消費され、肝心の当事者の声が置き去りにされていることに、独り腹を立てたりもする。
政府や行政の欺瞞に毒づきながら、深刻な介護人材不足の中で自分に何ができるのかを自問する。介護労働者が先細りしていく「地域共生社会」の厳しい現実を前に、せめて目の前の人を助けたい。今は、未来の担い手である外国籍の留学生を慈しみ、大切に育てながら、自分にできる活動をこの「はじっこ」で細々と続けていきたい。
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